2014年10月10日金曜日

コミュニケーションが苦手、どうしたらいいの?

コミュニケーションが苦手、相手がどう思っているかとか、いろいろ考えてしまいます。どうしたらいいの?



自分がどうあるかによって、
自分は何をするかが決まります
自分が何をするかによって

自分が何を得るかが決まります

コミュニケーションがうまくできない人の特徴は
BE、つまり<在り方>のところに
他のなにか

たとえば
  • 恋人、パートナー
  • 家族
  • 仕事
  • 趣味
  • 宗教
  • その他、

いろいろを据えてしまっているのです。

だから不安定になります。

コミュニケーションするとき、自分不在になっている自分が顔を出すのです。
自分を据えてもいけません。自己本位になってしまうからです。

<自分の在り方>は「こうありたい」「こうある」という自分が理想とする姿。
本当の自分です。

「自分探し」をする人は、ムダなことをしています。
「ありたい自分」を中心に据えたらいいだけです。





Doとはすることです。コミュニケーションもそのDoのひとつですが、自分の在り方のところに、感情とか、過去の記憶とか、相手が 入れてしまうとBeが不在になり、不安定になります。

これは生活習慣なのです。
だから治すには、生活習慣を変える必要があります。

生活の中心に自分を据える習慣がないのです。
だから不安定で、主体性を持つことができません。


習慣なので、自分で変えるのが難しいのです。それをするなと言ってくれる人が必要です。

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2014年5月25日日曜日

パートナー、友人に、自分を大切に扱ってほしい。

自分は相手を尊重しているのに、自分のパートナー、友人たちから大事にされていない気がする。能力が低いわけでも、悪いこともしていないのに悲しい。どうすれば大切に扱ってもらえるのか?



メッセージを出しているのは自分。
まず自分の態度を変えるようにしましょう。


自分は相手を尊重しているのに、自分のパートナー、友人たちから大事にされていない気がする。能力が低いわけでも、悪いこともしていないのに悲しい。どうすれば大切に扱ってもらえるのか?

自分をどう扱ってほしいのか、自分が望んでいるようなやり方を相手に教えることはできます。なぜなら、自分をどう扱うべきか、メッセージを出しているのは自分だからです。

だから自分が発信するメッセージを変えれば、相手は変わります。

よく知らない相手より、よく知る相手の方があなたが望む扱い方をしていないと思います。

それは、これまで長い時間をかけて、自分の扱い方を相手に教え込んできたのです。ですから変えるには、それ相応の時間と努力が必要になるものの、あなたが意志でなく、適切な行動をとれば変えることはできます。

「もっと私を大事に扱ってくれませんか」と言うことではなく、まず自分の行動に注目することです。先に正しい行動を積み重ねることを続けて、その上で、相手に態度を変えるようにしっかりしたコミュニケーションをするようにします。

次にリストアップしたことは、相手に自分を粗末に扱っていいですよというメッセージです。まず、このようなアサーティブでない態度を撲滅するようにしましょう。

●自分は自立できないのだと感じてしまう。

●自分で判断して決める際に、相手に悪いことをしているような気分になる。

●人に連絡したり会ったりするときに、なんだか強制されているような義務感を感じることがある。

●金を使うことや発言する権限、車の使用も含めて、あらゆることに配偶者の許可を求める。

●パートナーや子供のポケット、引き出しを調べたり、プライベートなケータイ、日記などをプライバシーに立ち入る。

●自分のしたいことをやろうとしたら、仕事をさぼるような気分になる。

●自分のしたいことをやろうとしたら、無駄遣いをしている気分になる。

●パートナー、親、子供については確固たるイメージと期待を持っている。

●パートナー、親、子供は一心同体だと信じているので、自分の予想外の行動をしたら驚いてしまう。

●仕事のためには、一生訓練を続けるものだと信じている。

●自分には訓練を卒業して自立しようとする気がない。

●相手が満足しているようだと、自分も安心して満足できる。

●他人が自分に代わって決断することを許す。

●他人の言動や感情に敏感に反応して、それによって傷つくことが多い

●自分が判断する前に必ず他人のアドバイスを求める。

●支配的立場にある人物の前では、気遣いをしすぎる。


その上で、パートナー、友人たちかどんな反応をするか、静かに注目してみましょう。
併せて.自分の感じ方や反応にも注意して観察してください。

相手が変わるより、先に自分が変わると思いますよ、

2014年3月6日木曜日

感情の表現と感情的な行動はどう違うの? 

人と人の間には境界があります。
境界を無断で越えているのが感情的な行動です。
つまり感情的な行動は不法侵入。



たとえば、映画館で館内が暗くなった状況で、携帯電話のスイッチを入れる。
ディスプレーのバックライトが点灯し、気になる友人からのメールを読む。
あるいは誰のメールが届いていないか確認する。

これをあなたはどう思いますか? 

ひとは感情の動物といわれるように
感情によって瑞々しい暮らしを現実のものにています。
 
その素敵を破壊しているのが、感情的な行動です。
同じようで全く違います。

感情の表現と感情的な行動はどう違うのでしょうか。


たとえば電車でみかけた素敵な女性。
一目惚れだってあります。
恋心は感情です。
そこで「あなたが好きです」と表現するのが、感情の表現。
しかし、いきなり抱きつくと、感情的な行動で、これは犯罪です。

ひとはそれぞれに感情があります。
だから恋心をもつのも、持たないのも、それぞれの心に起こること。
「それぞれ」というのは、ひとによって違うということです。
つまりひととひとの間には見えないけれど、はっきりとした境界があります。

人権という形で「境界」は、法で保護されています。
その境界を、相手の許可なく、越えると人権侵害です。
他人の家に勝手に入るようなものです。

だから恋心は感情の表現として、してもいいのですが、相手への配慮が必要です。
表現はいいけれど、相手に配慮して、不安にさせたり、恐怖を与えたりしないように、礼節を守って行うのが条件です。


それにしても相手の庭に踏み込むような行為なので、これから入らせていただきますが、いいですかという承諾を得るのが、マナー、エチケットなのです。 



感情的な行動とは、承諾もなしに、感情のままに感情、即、行動というものです。
つまり自分と他人との境界もなく、相手への配慮もなく、
感情を行動に移してしまうものです。


腹が立ったから怒る。これは感情です。


しかしこの場合でも、恋心と同じように相手に配慮して、
不安にさせたり、恐怖を与えたりしないように、礼節を守って怒るのが条件です。
怒るとは、相手に恐怖心を与えるのが目標ではありません。

まず、こちらの不安や不満を伝えて、
相手に態度なり、行動を変えてもらうことです。

ですから、「わたしはいまとてもくやしいです。なぜなら・・・」
と説明するのが怒っていることです。

それで通用するのかと思う方がいるかも知れませんが、
先にお話したように、相手に態度なり、行動を変えてもらうことが目標ですから、
威圧的な態度をとる必要なないのです。

この説明を省くとどうなりますか?

感情=即行動ですね。
これが感情的な行動です。

恋心の場合は礼節を守るけれど、
怒っているときはそうはできないというのは、単なる損得勘定です。
感情的な行動は他者に対して向けるだけではありません。

むしろ日頃から、自分に向けているのが習慣化していて、
他者にもカンタンに向けてしまうのです。
気持ちがムシャクシャして暴飲暴食、喫煙などはその典型的な例です。
 
自分を痛めつけることで気分転換していまが、
それを意識できていないことが多いものです。

日頃から自分を痛めつけることが増えると、
行動がどんどん感情的になり感覚が麻痺してきます。

最近は昔なかったような痛ましい事件が続発していますが、
感覚の麻痺と境界の曖昧さが影響しています。


かっては我慢、自分をコントロールしなければならないことが多かったわけですが、
いまでは我慢の機会よりも消費と娯楽による逃避が安直にできてしまうことで、
感情的な行動がどんどん増えているのが影響しています。


消費も娯楽も適度であれば健康に寄与しますが、
度を超えると百害あって一利なしです。


冒頭の質問の答は出ましたか?
気になる、なにか楽しいことはないか、
場所をわきまえず、周囲の迷惑を気にせずに、自分の感情のままに行動する。
自分で知らない間に、感情的な行動がどんどん増えている。


それは言い換えるとひととの境界をどんどん踏み越えているということです。

冒頭の状況で、どうしても、心配なことがあって、携帯電話を利用したいなら、
場を外す、あるいは、(気になることがあるので)ケータイみてもいいですか?と
声をかける。


これが感情の表現です。







2014年3月4日火曜日

自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。 そんなことのないようにするには、どうしたらいいのか?

自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。 そんなことのないようにするには、どうしたらいいのか?




相手が決めること。だからこそアサーティブな態度を実行する。


自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。
よくある話ですね。しかも一度や二度ではなく、何度も同じ相手を傷つけている。

そもそも傷ついたか、傷ついていないかは当人が決めることです。
同じように傷つけたか、傷つけていないかも当人が決めることです。

だから、お互い好きなようにすれば・・・・。で済ますなら済んでしまうかも。でも、これでは、身も蓋もないですね。

だから後で後悔するなら、先に手を打つ方が断然いい。
そこでアサーティブにやりましょうと、アサーティブというとを薦めています。
アサーティブとは、「積極的自己主張」のことですが、これでは誤解を生んでしまう翻訳です。主張というよりは自己表現のほうが受け入れやすいかも。
相手の判断をこちらがコントロールするわけにはいきません。
自分がコントロールできるのは、自分しかありません。
相手が不安になるようなことをしない、言わない。これは自分次第でコントロール可能です。つまり積極的自己主張とは相手をやっつけるのではなく、自分をコントロールしながら相手にコミュニケーションしていくことを解釈できます。
自分をコントロールするとは、自分を抑えるのではなく、自分と相手の権利を認め、自分も相手も尊重しながらコミュニケーションしていくことです。

次にあげる点を意識していたら、相手が傷つけられたと思うような機会はかなりの確率で防げます。
人間の12の真実

・価値ある存在として認めてほしいと思っている
・「拒絶される(見捨てられ感)」ことを最も恐れている
・誰にでも「外面」と「内面」がある。
・自尊心を傷つけるようなことをして互いに得になることはない。
・自分の価値観を否定されると心が動かない
・自分に好意を持っている人に好感を持つ
・未来に対して「自分はどうなるのか?」という不安を持っている。
・だから変化を好まないのが一般的だ。
・自分にとって大事な個人的を考え、話したがる
・自分が理解できることだけを傾聴し受け入れることができる。
・実にくだらないと思える人間はすべての層に存在している。
・はっきりした理由がないこと、論理的な説明が出来ないことを考えたり行動する
さらに、自分も相手も傷つけないを実行する上で、傾聴によって相手を知ることが欠かせません。
知るためのポイント

・自分自身のことを本人がどう思っているのか
・大切にしていること、重要視していることを知る
・仕事の目的はなにか
・気にしている不安や恐怖はなにか
・受け入れがたいポリシーはなにか
・仕事に期待していることはなにか

これらのことを知るには、よく聞くという姿勢「傾聴」なしには、知りようがありません。傾聴しても分からないのが本当だと思いますが、 それでも自分の言いたいことを言うだけと比べたら随分違うものになるのは明白です。

知らない間に傷つけている・・・・特に年齢を重ねると気をつけたいですね。
若いときは結構、遠慮もあるし、経験が少ないこともあって謙虚さが備わっています。
物怖じしなくなると、無遠慮に言いたいことを言う傾向があります。
本人は冗談のつもりで、悪気はないけれど、人にはそれぞれ気にしていることがあります。
それを気にせずに言うと傷つけることになるので、注意したいものです。 

アサーションによるWIN-WIN(ウィン・ウィン)のルールです。

・相手の話を聴ける自分
・相手の立場を考えて、自分の意見を主張できる
・タイプに合わせたアプローチができる
・思い込み・決めつけで、可能性を閉じない
・感情的な行動で、価値をボロボロにしない
・共同体の一員であることを忘れない(チームワーク)


アサーティブな態度。
アサーティブは、自分のことを大切に考えるが、同じように相手を大切にできる、自信を持って説得力のある心の豊かさを印象づけられる態度で、互いに納得理解のもとに協働を実現します。
ただ自分の言いたいことを主張するだけでは自分本位に映るだけで、自己主張にはならないでしょう。
自己主張も、相手が決めることでしかありません。相手がわがままと言えばわがままになってしまう。

同じことを話しても、相手が知っていることを教えるのでは、押しつけ、おせっかいになるだけれど、相手が知らないことであれば、親切になります。

以前、ホームレスの方に、不自由しているだろうと想像して、食事を持って行ってあげた方がいました。ところが「自分はあなたよりいい物を食べている」と断られました。ホームレスの方は誇りをもっていらっしゃったわけです。相手を知らないままに一般的な思い込みをベースに善意でしたことが裏目に出たケースです。
「裏目」と言ったのも一般的な思い込みです。
断られたことで、「安心した」と思うことも可能なのです。相手のことを心配するなら安心するのが妥当です。断られたに注目すると「自分が傷ついた」になるか、「相手を傷つけた」にもなります。
同じことでも見え方が変わるのは認識の仕方が違うからです。

その裏返しが、同じことでも違う見え方ができるフレキシブルさを教えてくれます。

認識と併せて この一件から見えてくる重要な点は、「
アサーティブな態度」が結果に与える影響がものすごく大きいということです。同じことをしても、態度、言動で。全く違う結果になる可能性があるのです。


自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。というのも、このような関係性の延長にあるのです。
だからGIVE&GIVEN(ギブ・アンド・ギブン)を主張しています。
心が通じ合う関係ってありますね。
その場合でも傷はつくのは避けられないことが多い。でもそれで関係性が破綻しないのは、GIVE&GIVEN(ギブ・アンド・ギブン)か、同等のセンスが働いているからです。

気を使うこととGIVE&GIVEN(ギブ・アンド・ギブン)は違うといえば違うし、同じと言えば同じ。気を使っても、気を使わせたらプラスマイナスしたらゼロか、立場によっては負担を強いることになります。その微妙は相手を思いやる気持ちだけが知っていることだと思います。

でも、そこにも落とし穴があります。他者はあなたの意識に興味がありません。結果だけです。あなたがどう思っていようが関係ない。あなたがなにをしたかだけです。

あなたの意識に関心を持って注意深く見てくれるひとは、地球上にどれだけいるでしょうか?その事実を認識するほど、アサーティブな態度が、どれほど重要であるか分かってくると思います。




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2014年2月22日土曜日

「人に嫌われたくないか」とびくびくしている自分を変えたい

人に嫌われたくないと、びくびくしながら生きてきました。
そのために、 自分というものがあいまいになっている気がします。

「そんなの努力しかない」とみんなにいわれるたびに、私がいままで頑張ってきたと思っていたものまで否定された気分で、私は何のためにいるのかわかりません。変わりたいです。



「そんなふうにしないで」と自分に言ってあげてください。

私たちが「常識」からはずれることを恐れ、
知らず知らずの間に、
自分を「普通」へ閉じ込めてしまいます。 

同世代の常識にこだわり、他者と同じような服装をしたり、 考え方にメディアが垂れ流す情報をそのまま鵜呑みにして、自分を明け渡したりしています。 
自分に、不可能な基準を課して、完壁さを求めて努力し、うまくいかないからと凹み、
最後にはいつも自分を批判する状況に追い込む。
 
しかも自分にとって重要な相手だと感じたら、いい印象を与えたくて、どうしていいか分らなくなって、つい自分の感情の表現を押さえて接してしまう。
本当は表現したいもの、伝えたいことがいっぱいあるはずなのに気後れしてしまう。
 
他人からなにを期待されているのか、
なにを必要とされているのかに、
神経を集中しすぎてしまうことで、
ほめられたりすることを期待してしまいます。 
 
でも、それが違う形で返ってくると、何だったのかと、がっくりきますよね。
その知られることのない努力が、期待とは逆の結果になることで、否定されているように感じてしまう。 

でも否定の一番の張本人は自分なのです。
自分がそんな自分を嫌っているからです。
嫌われたくなくてがんばっているのに、
そんな自分を実は自分が許していない。
 
だって、自分を虐待しているのが自分なのだから、怒っても当然です。
でも、自分を責める必要はありません。
怒っている自分を見ていると、
自分が自尊心を育てているのか、壊しているのか、きっと分るはずです。

壊しているから怒っているのですよね。
大切なことは、そんな自分を怒っている自分がいることに気がつくことです。
 
怒っている自分に拍手してあげてください。
 
♪♪ ゲンキポリタンも拍手しますよ。♪

いいぞ!その調子だって、エールを送ってあげたい。

あるがままの自分になることは、
健全な性格と身体をもつための、はじまりの一歩です。
自分らしい人になるには、本当の自分のなかに何が見え隠れしても、
恥じることなく、自信をもって表現することです。

いままでのくせで、つい自分をごまかしてしまうときは、「そんなふうにしないで」と自分に言ってあげてください。
でもそこまでです。
それ以上は気にしないことです。

もし、気にしそうだったら、
「そんなにいじめないで」って言ってあげてください。
そして、心で自分をだきしめてあげてください。
「いいのよ、ゆっくりやろうね」ってひとこと。
声をかけてあげたら、さあ、行動、行動です。
 
自分のしたいことを書き出して、

するメリット、するデメリット、しないメリット、しないデメリット、を整理して、
落ち着いて計画を作って一歩一歩、歩いていきましょう。



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2014年2月10日月曜日

言いたい事が言えないままに、 我慢によるストレスが高じて夫婦仲が悪くなる一方

言いたい事が言えないままに、 我慢によるストレスが高じて夫婦仲が悪くなる一方です。本当は仲良くしたいのに、 どうしたらうまくいくようにできるでしょうか?






コミュニケーションの始め方に注意をして、分かって欲しいことを<コミュニケーションの4本柱(誠実、率直、対等、自己責任)>を使って話ましょう。

自分が本当に望むことは、丁寧に<
コミュニケーションの4本柱(誠実、率直、対等、自己責任)>を使ってを話し合うことがとても大事です。
コミュニケーションの4本柱は心の4本柱と言い換えることができるほど重要なことです。けんかになる原因も4本柱を使っていないからです。

本当は甘えたいけれど、いまさら恥ずかしい。。。。。
自分の気持ちを話すと自分が軽く見られないか心配。。。。

どちらも余計な心配です。

ご主人に照れ隠しがあって無愛想な返事しか返ってこなくても気にしない。

結果の詮索より、自分の気持ちを率直に伝えることが自分の心と身体にいいのです。自分の心と身体にいいことは、結果にもいい影響を与えます。自然な潜在意識が働くからです。
もし、その結果が自分の期待と違って悪ければ、それはそれでたくさんの選択肢があるので、最良を選んで、最良の行動を重ねるといいのです。つまりPDCAを使うのです。
そういうと難しく聞こえますが、人間は自然にそうするものなのです。誰しもがそうしながら育ってきたのです。
ところが考え違いからネガティブな行動を重ねて人生をおかしくしてしまっている人は潜在意識を無視してきたのが原因です。みんなと同じようにPDCAを使っているけど、CAで間違ったために二度目のPAを間違い、二度目以降のPDCAをどんどんおかしくしているのです。

<原因が結果>になります。誰もこの法則を変えることはできません。
ところが、一般的に、大事なことほど話しにくいものです。
男男、男女、女女、どの組み合わせでもそうです。
男女のカップルの場合、恋仲の段階では、喧嘩してもそれぞれ帰る場所があり、別の空間で過ごすことで冷静さを取り戻せることもあり、言いたい事を言えます。 
    
同じ空間に暮らしても、同棲の場合も、まだ逃げ場があります。
でも戸籍を同じくして、同じ空間に暮らすと随分違います。
家庭は、ある意味、密室みたいな場所ですから、誰だって、そこで気まずい思いをしたいとは思わない。
結局、大事なことほど避ける傾向が強くなるほど、分かってほしい思いが強くなる。

言葉よりも、言い方、態度、表情などで遠回しに伝えようとする。
あるいは、我慢するだけした結果、破裂したように突然すべてを噴出させて感情を乗せる。


その背景に正しい理由があったにしろ、遠回しな表現も、いきなりの攻撃も理解できない。その分、こんなに言ってるのに分からないのかとますます腹が立つ。


いままで何も考えていないのか、気にもしなかったのかと、ますますムカつき、 なにが問題だったのか、分からなくなるので、なにも解決しない。
むしろ以前より状態が悪くなる。

このような状態を避けるには、言いにくいことほど、向かい合って話し合うようにします。
難しいけれど、コツがあります。
建設的で気持ちのいいコミュニケーションには、感情のコントロールが不可欠です。
感情の抑圧は感情的な行動の原因になります。ネガティブな感情の倍返しになってしまうのです。自分でも感情の波に呑み込まれ感情の波に押し流されます。
自分が何をどう感じているか把握できないと、生涯に影響することも本当の気持ちが判らないまま行動することが起こります。



私たちは、ある事実が発生すると無意識の内に、 次の3つのステップを順番に進んでコミュニケーションを始めます。

1)起こった事実に反応してスタートする
2)自分なりの解釈(感じ方)でスタートする
3)どうすれば目的が達成できるか最適な解決方法を考えてスタートする。

3)からスタートすることで効果的なコミュニケーションができます。

ところが不安に耐える力が弱いと感情の洪水に呑込まれてしまい、
【3)どうすれば目的が達成できるか最適な解決方法を考えて行動する】前に、

【2)自分なりの解釈(感じ方)でスタートする】か
【1)起こった事実に反応してスタートする】

から始めてしまいます。


不安に負けて無力感から、他人事のように反応するだけになり、1)からスタートしたり、自分の感じ方をコントロールできないまま、防衛から過剰な反応を引き起こし感情的なまま、2)からスタートしてしまうのです。

どちらも問題の解決を忘れた状態ですから解決は困難になります。
問題が困難なほど不安も大きいのが正常です。不安を恥じることはありません。
落ち着いて感情的にならず、3)のどうすれば目的が達成できるか、最適な解決方法を考えてスタートするようにします。
併せて気をつけたいのが、場所とタイミングです。

これを間違うから、コミュニケーションが混乱します。たとえば休息モードに入っているときに、いきなり重い話を聞かされると不安になって聞こうとしない場合が多いものです。


自分の言いたいことを言い出す側は、心の準備をした上で話しだす事ができるけれど、聞く側は突然です。
性格によるけれど、いきなりはきつい。大事なことなので話すことが正しいと思っても、正しい間違っているで判断せずに、
目標を達成するうえで適切かどうかを考えてコミュニケーションを始めるようにします。

「○○について聞いてほしいことがあるんだけれど、 いつがいい。心配することはないよ」って、ユーモアも加えて、少しお姉さんになったつもりで、やさしく切り出して、相手の都合を確認するようにして、不安がらせないようにするのはどうでしょう。

それでも相手は不安がるかも知れませんが、突然言われるのとは随分違います。
話にくいことは、自分が気にしているために、どさくさにまぎれて処理しようとします。
これが良くないのです。

話にくいことほど、出会い頭にひとこと、何かのついでにどさくさに紛れてのひとことではなく、場とタイミングを用意して話し合いましょう。

私たちは、相手の気持ちになったつもりで考えますが、同時に思い込みや決め付けを使っている場合が多いものです。

それでは気遣いというよりひとり芝居になってしまいます。
お互いに相手を気遣っているのに、傷つけあうってバカバカしい。

もう少しだけ勇気を出したら天国と地獄くらい差が出ます。






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2014年2月9日日曜日

人前で緊張せずに、話せるようにするにはどうしたらいいの?

人前で緊張せずに、話せるようにするにはどうしたらいいの?




自分を忘れて、相手のことだけを考えて話しましょう。

もうひとりの自分に心当たりありませんか?

他者の期待に応えようとするあまり自分をよく見せよう、自分を見透かされないかなど、なにかしらの理由から緊張して、実は自意識過剰になってしまっているので、自然体でいられなくなるからですね。


人前で話すということは、人を楽しませたり、感動させたり要は、人に何かを届けようとする行為です。

自分を忘れて、相手のことだけを考えて話すことです。

こんなことを言ってあげたり、伝えてあげたい。その一点に集中すれば、友人と話しているのと同じです。 

「上手に話さないといけない」。。。
そんなことを忘れて、伝えてあげたいことを、思いをこめて話せば、いいのです。

いつもあなたが多くの人にしているようなことです。


「きっと巧く話せる」なんて、自己暗示にかけないでください。

自己暗示をかけようとすればするほど、深層心理の部分では、「巧く話せない」という思いが強化されて、緊張を強めて、ストレスがたまってしまうだけです。


あの人になにを話してあげようかな。
あの人のためになることを、
あの人が幸福になれるように伝えたい。

そう考えていくと、気持ちが弾んで楽しくなってきませんか?

そのまんまの気持ちで話してください。

話している途中につまっても、間違っても、全然気にする必要はありません。

自分はそうして何人いても平気になりました。 

大切なのは、あなたの思いです。

きっとうまくいきます。





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2014年2月7日金曜日

パートナー、友人に、自分を大切に扱ってほしい。

自分は相手を尊重しているのに、自分のパートナー、友人たちから大事にされていない気がする。能力が低いわけでも、悪いこともしていないのに悲しい。どうすれば大切に扱ってもらえるのか?



メッセージを出しているのは自分。まず自分の態度を変えるようにしましょう。
自分は相手を尊重しているのに、自分のパートナー、友人たちから大事にされていない気がする。能力が低いわけでも、悪いこともしていないのに悲しい。どうすれば大切に扱ってもらえるのか?
きっと悔しいことだと思います。
長年連れ添ったご主人が奥さんを乱暴に扱うというパターンはよくあるご相談です。
よく知らない相手より、よく知る相手の方があなたが望む扱い方をしていないと思います。

しかし、
自分をどう扱ってほしいのか、自分が望んでいるようなやり方を相手に教えることはできます。
なぜなら、自分をどう扱うべきか、メッセージを出しているのは自分だからです。
だから自分が発信するメッセージを変えれば、相手は変わります。


それは、これまで長い時間をかけて、自分の扱い方を相手に教え込んできたのです。ですから変えるには、それ相応の時間と努力が必要になるものの、あなたが意志でなく、適切な行動をとれば変えることはできます。

「もっと私を大事に扱ってくれませんか」と言うことではなく、まず自分の行動に注目することです。先に正しい行動を積み重ねることを続けて、その上で、相手に態度を変えるようにしっかりしたコミュニケーションをするようにします。

次にリストアップしたことは、相手に自分を粗末に扱っていいですよというメッセージです。


まず、このようなアサーティブでない態度を撲滅するようにしましょう。
  • 自分は自立できないのだと感じてしまう。
  • 自分で判断して決める際に、相手に悪いことをしているような気分になる。
  • 人に連絡したり会ったりするときに、なんだか強制されているような義務感を感じることがある。
  • 金を使うことや発言する権限、車の使用も含めて、あらゆることに配偶者の許可を求める。
  • パートナーや子供のポケット、引き出しを調べたり、プライベートなケータイ、日記などをプライバシーに立ち入る。
  • 自分のしたいことをやろうとしたら、仕事をさぼるような気分になる。
  • 自分のしたいことをやろうとしたら、無駄遣いをしている気分になる。
  • パートナー、親、子供については確固たるイメージと期待を持っている。
  • パートナー、親、子供は一心同体だと信じているので、自分の予想外の行動をしたら驚いてしまう。
  • 仕事のためには、一生訓練を続けるものだと信じている。
  • 自分には訓練を卒業して自立しようとする気がない。
  • 相手が満足しているようだと、自分も安心して満足できる。
  • 他人が自分に代わって決断することを許す。
  • 他人の言動や感情に敏感に反応して、それによって傷つくことが多い
  • 自分が判断する前に必ず他人のアドバイスを求める。
  • 支配的立場にある人物の前では、気遣いをしすぎる。

その上で、パートナー、友人たちかどんな反応をするか、静かに注目してみましょう。
併せて.自分の感じ方や反応にも注意して観察してください。
相手が変わるより、先に自分が変わると思いますよ。



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2014年1月31日金曜日

「いい子だね」って言ったら機嫌が悪くなり避けられるようになりました。褒めたつもりなのに、どうして?

いつもニコニコと、周囲のへの配慮も欠かさずわがままを言わず、「いい子」だねって言われて成長してきたひとの痛みは本人にしかなかなか判らないものです。

ひとは、表面の態度や表情で判断しますが、そうであればあるほど「いい子だね」と言われることは、苦しいものです。
傷ついていても、何事もないような表情をしたり、怒っていても、怒っていないふりをしたり、つらいときでも楽しそうにふるまう。
ひとは誰でも安全な状態で成長しているわけではなく、特に感受性の強いひとには人知れずキツい場面が多々ありま

無力な少女時代に、そうしなければならない事情があったから、そうしているのです。<いい子にしなければならない事情>とは、大人の期待に応えるためです。

評価は大人がしますので、大人の評価は高く、いい子にしていると安全、安心が約束されたのかも知れません、
その反応の仕方、態度、表情が習慣化したものは、成長しても容易に変われません。いつも明るい素直なひとに見えても、実は人一倍傷つき苦しみ孤独を感じていることは少なくありません。
身についた殻は、自分でも打ち破るのが難しいものですが、難しいほど周囲の「いい子だね」は重荷になり、身体に食い込むかのような痛みが新たな傷をつくります。

ひとりで頑張ってきた痛み、つらさ、悲しみを理解してあげましょう。

しかし、その一方で、その我慢に苦しんでいることを判ってほしい、対等に扱ってほしいひとや、評価されたくないひとの前では、本当の自分を表現したくなるのは自然なことでしょう。その背景には、自分で自分を評価したい自立心が働いています。

もし、知らずに思わず「いい子だね」って言ってしまったことによって、機嫌が悪くなった事例は少なくありません。「いい子だね」って言われると、怒りがこみあげてくるというのは、健康な証しといえます。

人の期待通りに行動する自分を自分が好きになれないのは、それこそ自然な反応といえます。
周囲の知らないひとは面食らうことでしょうが、心秘かに応援してあげて、打ち解けてきたら、大いに励ましてあげるようにしたらいいでしょう。
いい子を長く続けていると、他者の欲求を第一に取り込んでしまうために、自主自立の精神に不足が生じたり、自分で自分の目標設定をすることが苦手になってきます。自由な環境を与えられてもどうしていいのか判らなくなったりします。

このような苦しみは、知らず知らずに自尊感情を弱めてしまい、自己否定のスパイラルからの脱出を困難にします。

また、当事者である「いい子」さんは、積極的に自己表現していくようにしましょう。気をつけたいのは、日本独特の風土、慣習です。私たちが暮らす社会は「記号」が好きな社会です。物事を掘り下げて考えることもせずに、安直に記号化して判ったような顔をして過ごすことが蔓延して、そのために不必要に傷つけられていることが少なくありません。他人が平気で自分を「記号」で判断したり、決めつけます。

たとえば、独身、既婚関係なしに40代~のひとに対しては、本人のあり方には無関係に「おとうさん」「おかあさん」、「おじさん」「おばさん」と’平気で呼びます。アメリカでは成人に対しては、あくまで男性、女性として扱います。

こういう観念が蔓延しているため、後期高齢者という呼び方も平気で出来てしまうのでしょう。こういう社会に暮らしている分、「いい子」のレッテルは重くのしかかります。

そのことを忘れず注意したいものです。