2011年3月20日日曜日

私は親密になるのが怖い、どうすればこの問題を乗り越えられる?


 コントロールを少しずつ手離す


信用できない、つまり信用したら傷つけられるという思いの向こうにあるのは、コントロールを手放したら、何が起こるか判らない。という不安。
その苦しさに一番のポイントは、すべてか無か、白か黒か、右か左か、上か下かという発想です。
しかし、現実は、両極端ではなく、中間がほとんどなのです。
そして、人間にはコントロールできることと、できないことがあります。

できないことの見本として自然はそのいい例ですが、歩いていたら、自転車が飛び出して来た。
なんていうのもコントロールできません。

しかし、そういう場面で自分がどう対処するかは、自分が選択できることですので、コントロールできます。
なにがコントロールできて、なにをコントロールできないのか、それを見極める力こそ必要なのです。

東北の大震災を見ても分るように、そもそも人生はコントロールできないのです。
人生をコントロールできないけれど、自分を大切にすることはできます。

その上でコントロールできることはコントロールするのが自分の力なのです。 
なんでもコントロールすることが力ではないのです。
親密になるとは、互いに自分をさらけ出す事です。
そこで生じる不安があってもおかしくはありませんが、
もし本当に恥ずかしいと思う事があれば、コントロールすればいい。
つまり成長するようにしたらいい。
それを含めて一歩ずつ歩みよるようにしてください。
どういうことかと言うと、好きな異性と初めてのデイトをしたと仮定します。

そこで、いきなり自分のことをさらけ出すと、相手も驚いてしまいます。
すると、困惑して離れようとするかも知れません。
あなたは傷ついてしまいます。

逆に、なにも出さないと、相手は嫌われたと思い、やはり離れようとするかも知れません。この場合もあなたは傷ついてしまいます。
つまり、あなたを愛していても、コミュニケーションの仕方の問題で、うまくいかなくなるなのです。
互いに安心できる範囲で、少しずつ、歩みよるようにしていけばいいのです。 

なにより思い出してほしいことがあります。
ほとはどんなに大切にしているひとでも、知らずに傷つけてしまうのです。
その理由は骨董品を扱う知識がないひとが骨董品の手入れをして、傷つけてしまうように、知識がないのが原因です。

同じことを気がつかない間に、自分がしているという事実に目を向けてください。
「そんなつもりはなかった」ということがたくさんあるはずです。
つまり白か黒か、すべてか無か、ということはナンセンスなのです。
完璧主義が働きすぎると、現実から遠く離れてしまいます。

ひとは完璧でないから、愛され、愛したいと思うのです。




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