2012年9月2日日曜日

なぜ、私はノーと言えないのか?


 なぜ、私はノーと言えないのか?

・自分の気持ちを言葉にできない
・したほうがいいと判っていても、行動にうつせない
・人と交際するのが億劫になる一方で寂しい
・恋愛に溺れてしまう



「なぜ、私は苦しいのか?」
このような問題を解決します。

コミュニケーション不全の放置が心の病にまで発展する傾向が高まっています。
人は生まれたとき、無力です。保護者なしには生きて行けません。
泣けば駆けつけてくれる。泣けば食事を運んでくれる。泣けば不快感を除去してくれる。
人が真っ先に覚えるのは万能感です。

やがて、保護者はこどもの自立に向けて動きます。自分で出来ることは自分にさせようとします。まだ出来ないことはケアします。自立と依存のバランスが日に日に変化しながらこどもと保護者の関係も変わり続けます。

共同作業で協調を覚えながらコミュニケーションの基礎を体験していきます。自分の限界を知ることで、自立と依存のバランスを学び、自分と他者の境界を知り、協調の必要性を学んでいきます。

ところが保護者の過干渉、過保護があると、自立と依存のバランスを狂わせます。自分ですることを保護者がしていると、こどもは万能感を手放せなくなり、協調の必要が曖昧になります。

自分でも自立したい欲求と不安の処理がうまくできなくなり、率直、素直に甘えることが苦手になり、感情の表現に混乱が生じてきます。

感情は表現していいものですが、表現の習慣がなく抑圧していると、どう表現していいのか学ぶ機会を失います。学びに失敗は欠かせませんが、失敗の経験も少ないため、感情の表現、伝達が苦手になり、表現しなくて済むように自分の内側で過剰な感情のコントロールが起こります。

つまり、失敗しないので「いい子」と見られますが、本人は我慢をしているだけなので、「いい子」と見られるのは、自分のことを分かってくれていない無念でしかないのです。しかし、こどもは非力ですから、生きるために「いい子」を演じることを選択します。

率直、素直、誠実の欠落が生じてきますが、人間は感情の動物と言うくらいですから、感情を表現しないでいると鬱積してきます。
やがて暴発なしに感情の表現ができなくなり、感情的な行動によって感情を表現することになります。
 
万能感の強い成人になると、コミュニケーション不全が起こります。
人間は万能の神ではありませんが、万能感が強く残っていると、限界と境界があやふやなままです。
具体的には、イエス、ノーが言えなくなります。あるいは受け入れられなくなります。

 ・自分に出来ないことでもイエスと返事する
 ・自分に出来ることでもノーと返事をする
 ・ノーを受け入れられない
 ・助けを求められない

イエス、ノーの混乱の背景には率直、素直、誠実、対等の不足がありますが、その発端にあるのが、万能感の問題と、関連する限界、境界の混乱、さらに自立と依存のバランスの悪さなのです。

コミュニケーション不全の放置は、うつ病など病気に発展する危険があります。また感情的で短絡的な行動は、自分と周囲の人を傷つけます。放置せずに修復していく作業は、自分を幸せにする作業と変わりありません。
つまり、健全なコミュニケーションができる人と違う点があるとしたら、修復する分、時間がかかることです。

では、具体的になにをすれば、克服出来るのでしょうか?
それは「自立」です。
時間がかかるのは、自立を邪魔する要因を自分が内包しているために、自立が思うように進まないからです。

しかし、案ずることはありません。
自立を意識して、自立を目的にするなら、障害の除去は難しくありません。
禁煙、禁酒などと同じ作業です。禁煙、禁酒の難易度は個人差がありますが、やり方の間違いも影響しています。
正しく対処すれば難しいことではないので安心してください。



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