2014年1月31日金曜日

「いい子だね」って言ったら機嫌が悪くなり避けられるようになりました。褒めたつもりなのに、どうして?

いつもニコニコと、周囲のへの配慮も欠かさずわがままを言わず、「いい子」だねって言われて成長してきたひとの痛みは本人にしかなかなか判らないものです。

ひとは、表面の態度や表情で判断しますが、そうであればあるほど「いい子だね」と言われることは、苦しいものです。
傷ついていても、何事もないような表情をしたり、怒っていても、怒っていないふりをしたり、つらいときでも楽しそうにふるまう。
ひとは誰でも安全な状態で成長しているわけではなく、特に感受性の強いひとには人知れずキツい場面が多々ありま

無力な少女時代に、そうしなければならない事情があったから、そうしているのです。<いい子にしなければならない事情>とは、大人の期待に応えるためです。

評価は大人がしますので、大人の評価は高く、いい子にしていると安全、安心が約束されたのかも知れません、
その反応の仕方、態度、表情が習慣化したものは、成長しても容易に変われません。いつも明るい素直なひとに見えても、実は人一倍傷つき苦しみ孤独を感じていることは少なくありません。
身についた殻は、自分でも打ち破るのが難しいものですが、難しいほど周囲の「いい子だね」は重荷になり、身体に食い込むかのような痛みが新たな傷をつくります。

ひとりで頑張ってきた痛み、つらさ、悲しみを理解してあげましょう。

しかし、その一方で、その我慢に苦しんでいることを判ってほしい、対等に扱ってほしいひとや、評価されたくないひとの前では、本当の自分を表現したくなるのは自然なことでしょう。その背景には、自分で自分を評価したい自立心が働いています。

もし、知らずに思わず「いい子だね」って言ってしまったことによって、機嫌が悪くなった事例は少なくありません。「いい子だね」って言われると、怒りがこみあげてくるというのは、健康な証しといえます。

人の期待通りに行動する自分を自分が好きになれないのは、それこそ自然な反応といえます。
周囲の知らないひとは面食らうことでしょうが、心秘かに応援してあげて、打ち解けてきたら、大いに励ましてあげるようにしたらいいでしょう。
いい子を長く続けていると、他者の欲求を第一に取り込んでしまうために、自主自立の精神に不足が生じたり、自分で自分の目標設定をすることが苦手になってきます。自由な環境を与えられてもどうしていいのか判らなくなったりします。

このような苦しみは、知らず知らずに自尊感情を弱めてしまい、自己否定のスパイラルからの脱出を困難にします。

また、当事者である「いい子」さんは、積極的に自己表現していくようにしましょう。気をつけたいのは、日本独特の風土、慣習です。私たちが暮らす社会は「記号」が好きな社会です。物事を掘り下げて考えることもせずに、安直に記号化して判ったような顔をして過ごすことが蔓延して、そのために不必要に傷つけられていることが少なくありません。他人が平気で自分を「記号」で判断したり、決めつけます。

たとえば、独身、既婚関係なしに40代~のひとに対しては、本人のあり方には無関係に「おとうさん」「おかあさん」、「おじさん」「おばさん」と’平気で呼びます。アメリカでは成人に対しては、あくまで男性、女性として扱います。

こういう観念が蔓延しているため、後期高齢者という呼び方も平気で出来てしまうのでしょう。こういう社会に暮らしている分、「いい子」のレッテルは重くのしかかります。

そのことを忘れず注意したいものです。